「……そんなこと言ったら、またむさえさんにどやされるぞ?おばさんって言うなって。
――でも、その通りだな……」
いつもオラたちのことを気にかけてくれているむさえさん。その気持ちには、感謝してもしきれない。
オラとひまわりは、彼女が出ていった玄関に向け、小さく会釈をした。
「――おーいみんな!ちょっといいか!」
工場の中で、工場長が声を上げた。
その声に従業員は手を止め、彼の方を見る。もちろん、オラも例外じゃない。
「今日はうちの工場に、元請けのお偉いさんが視察に来る!しっかり働けよ!」
「うぃー!」
「それだけだ!作業に戻ってくれ!」
工場長が話を終えると、従業員は再び手を動かし始めた。
(元請けのお偉いさんか……難癖でも付けにくるのか?)
心なしか、全員緊張しているようにも見える。
何しろ、元請けだしな。下手なことをしていたら、最悪契約を切られる。そうなったら、こんくらいの工場は、あっという間に危機に陥るだろうし。
それからしばらくすると、工場に一人の女性が入って来た。
長い黒髪をした女性だった。スーツを着こなし、毅然として歩く。
彼女は工場長からの説明を受けた後、工場内を見て回る。
そんな彼女の姿を見た従業員は、思わず手を止めていた。
それもそうだろう。何しろその女性は、かなりの美人だった。
どこか童顔ではあるが、整った鼻筋、仄かに桃色の唇、きりりとした凛々しい目……その全てが、 美人と呼べるだけのパーツであり、絶妙な配置をしている。
彼女の顔を間近で見れば、目の前の作業なんて忘れてしまうだろう。
……だが、どこか見覚えもある。
どこだっただろうか……
「……あら?」
ふと、彼女はオラの顔を注視した。
(やば……なんか問題あったか?)
オラは目の前の作業工程を頭の中で確認する。不備は……ない。
だが彼女は、ツカツカとヒールの音を鳴らせながら、オラの方に近付いてきた。
そしてオラの横に辿り着いた彼女は、オラの顔を覗きこむ。
「……な、なんですか?」
「………」
彼女は何も言わない。ただ黒い瞳を、オラに向けていた。見ていると、何だか吸い込まれそうになる……
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――と、その時……
「―――しん…様?」
「……はい?」
女性は、オラにそう話しかけて来た。
その呼び方をする人は、オラの知る限り一人しかいない……それは……
「……もしかして……あい、ちゃん?」
すると彼女は、それまでの凛々しい態度を一変させ、その場で飛び跳ねてはしゃぎ始めた。
「やっぱりそうだ!――そうです!あいです!酢乙女あいです!お久しぶりです!しん様!」
……工場内には、どよめきが走った。
「――はい、あいちゃん」
休憩所の中で、オラはあいちゃんにコーヒーを手渡す。
「ありがとう、しん様」
「このコーヒー、スーパーの特売品だから、あいちゃんの口に合うか分かんないけど……こんなものでゴメンね」
するとあいちゃんは、首を振って笑顔を向けて来た。
「そんなことないです。しん様が入れてくれたものですもの。それだけで心が満たされます」
そしてあいちゃんは、コーヒーをすする。
「……うん。悪くありません」
「ありがとう、あいちゃん。……ところで、そのしん様って呼び方、どうにかならないかな……」
「……嫌、ですか?」
「嫌というか……なんか、恥ずかしいし……」
「………」
しばらく考え込んだあいちゃんは、口を開いた。
「……分かりました。今日からは、しんのすけさんとお呼びいたします」
「助かるよ……」
彼女は、微笑んでいた。そんな彼女に、オラも微笑みを返した。
「――それにしても、このようなところでしん様……失礼、しんのすけさんと再会するとは、夢にも思いませんでした」
「オラもだよ。まさか、この工場の元請けがあいちゃんの会社だったなんて……しかも、あいちゃんが視察に来るとは思いもしなかったよ。世間って狭いね」
「そうですわね。……でも、だからこそ人生とは楽しいのかもしれません」
あいちゃんとオラは、感慨深く話していた。
「……でも、あいちゃんは変わらないね。とても凛々しくて、カッコいいよ」
「そんな、しんのすけさん……それを言うなら、しんのすけさんもですよ」
「オラは……そんなことないよ。だって、昔みたいにバカやってるわけじゃないしね。ガッカリしたでしょ?」
「いいえ!そんなことありません!」
あいちゃんは、語尾を強くしてオラの方に体を向けた。
「確かに、今のしんのすけさんは変わられました。でも、それはいいことなんです。
人は、時間の流れと共に、年齢を重ね、体を変化させていきます。
――ですが、心は違います。
心だけは、成長するか否かは、その人自身にかかってます。若くして立派な心を持つ者もいれば、歳だけを重ねて、いつまでも心を成長させない者もいます。
……しんのすけさんは、きっと前者です。しんのすけさんは、歳相応に心も成長しているんです。
そんなしんのすけさんは、素敵だと思います……」
「あいちゃん……ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ。そんな自覚はないけどね」
「いいえ。しんのすけさんは、やっぱりしんのすけさんですよ。行動が変わっても、それは変わっていません」
あいちゃんは、微笑みながらそう言ってくれた。
そんな彼女の言葉に、どこか救われた気がした。
父ちゃんと母ちゃんがいなくなってから、オラはしっかりしようと思った。
オラがしっかりしないと、ひまわりを育てることが出来ない。そう思っていた。
それでも、オラの中には不安があった。自分はきちんと出来ているだろうか。大人として、ひまわりの手本のとなれるだけの人になっているだろうか。そんなことを考えていた。
そしてあいちゃんは、オラのそんな不安を払拭してくれた。
それが、とても嬉しかった。
「ところでしんのすけさん。あなたは確か、中小企業で働いていたのではありませんか?どうしてこの工場で……」
「ええと……それはね……」
「……あ、もしかして言いにくい事情がおありなんですか?それなら、無理に言う必要はありません」
「……そ、そう?ありがとう、あいちゃ――」
「――こちらで、調べますので……」
「へ?」
「――黒磯」
あいちゃんの呼び掛けに、天井からスーツ姿の黒磯さんが降りて来た。
「―――!?」
黒磯さんは、白髪になっていた。色々と苦労が多いのかもしれない。それでも、その白髪頭は、まるで歴戦の戦士のように見える。なんというか、渋い。
黒磯さんは、オラに深々と一礼した。
「……お久しぶりです、しんのすけさん。お元気でなによりです」
「あ、ああ……黒磯さんも……相変わらずだね……」
「黒磯。至急調べなさい」
「――御意」
あいちゃんの言葉に、黒磯さんは再び天井にロープを投げ、スルスルと昇って行った。
……色々と、レベルアップをしているようだ。
それから十数分後……
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