「――あれ?」
仕事を出る前のひまわりが、オラの様子を見て疑問符を投げかける。
「お兄ちゃん、今日はかなりゆっくりだね。まだスーツじゃないなんて……」
「え?あ、ああ……すぐ着替えるよ。――それより、急がないとまた遅刻するぞ?」
「――あ!うん!」
ひまわりは食パンを片手に、玄関を飛び出していった。
彼女を見送った後で、オラは仏壇の前に座る。
「……父ちゃん、母ちゃん。オラ、会社辞めちゃったよ。小さい頃、父ちゃんにリストラリストラって冗談で言ってたけど、実際そうなると笑えないね」
仏壇に向け、苦笑いが零れた。
「……でも、今日からでも仕事を探してみるよ。……分かってる。ひまわりには気付かれないようにするから。あいつ、ああ見えて心配性だし……」
そして立ち上がり、いつもよりもゆっくりとスーツを着る。
とにかく、片っ端から面接を受けるしかない。そのどれかが当たれば、それに越したことはない。
大丈夫。きっと、大丈夫だ……
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オラは、自分にそう言い聞かせながら、家を出た。
午前中から、色んな企業を周った。
求人案内が出てるところをはじめ、とにかく、直談判した。会社、工場……場所を問わず、とにかく足を運んだ。
……だが、現実は甘くない。
そもそも春先でもない今の時期に、求人があること自体が稀であった。そしてどこも、簡単にはいかない。
どこも同じなんだろう。余裕がないのだ。それに、オラも27歳。うまくいくことの方が、難しかった。
(やっぱり、どこも難しいな。でも、まだ始めたばかりだ……)
そして、オラは街を歩く。仕事を求めるため、乾いた風が吹くビルの隙間を、縫うように歩いて行った。
それから2週間経った。
オラがようやく見つけたのは、小さな工場の作業員だった。
正直、手取りはほんのわずかだ。それでも、働けるだけ運がよかったと言えるのかもしれない。
……しかし、この工場の勤務時間は以前の職場よりも長い。これまで夜7時くらいには家に帰れていたが、帰宅するのはいつも夜11時過ぎなった。
当然、夜ご飯など作る時間はない。
「……お兄ちゃん、最近帰るの遅いね……」
オラにご飯を持って来ながら、ひまわりは呟く。
「……ちょっと、な。働く部署が変わったんだ」
「そうなんだ……なんか、毎日クタクタになってるね」
「まあ、慣れるまでは時間かかるかな……」
ご飯は、ひまわりが作っている。と言っても、冷凍食品が主ではあるが。
それでも作ってくれるだけありがたい。ご飯は水が少なくて固いが、それでも暖かい。
ひまわりに悟られないように、スーツで出勤する。そして仕事場で作業着に着替えるという毎日だ。
はじめ工場長も不思議がっていたが、密かに事情を説明すると、それ以降は何も言わなくなった。
仕事は、かなり労力を使う。
単純な作業ではあるが、一日中立ちっぱなしだ。そこそこパソコンを使えるが、使う機会はほぼない。
流れ作業であるために、オラが遅れれば、後の作業に影響が出る。だから一切気が抜けない。
慣れない作業に、肉体と精神力を酷使し続ける日々は、とてもキツかった。
それでも、今は働くしかない。
休日のある日の朝、オラは目を覚ました。
日頃の疲れからか、体中が痛い。それでも起きて家事をしなければならない。
……だがここで、オラはある匂いに気が付いた。
(この匂いは……味噌汁?)
どこか、懐かしい香りだった。
フラフラした足取りで台所へ行ってみると、そこには鼻歌交じりに料理をするひまわりの姿があった。
「――うん?あ、お兄ちゃん、寝てていいよ」
ひまわりはオラに気付くなり、笑顔でそう言う。
「……お前、味噌汁作れたんだな……」
「し、失礼ね!ちゃんとお母さんから教えてもらってたんですー!」
「母ちゃんから……知らなかったな……」
オラがそう言うと、ひまわりは急に表情を伏せ、寂しそうに呟いた。
「……思い出しちゃうんだ。これ作ってると。――お母さんと、話しながら作ってた時のことを……。だから、いつもは作らないの」
「ひまわり……」
少しの間黙り込んだひまわりは、急に声のトーンを上げた。
「――だから、特別なんだよ?ありがたく思ってよね、お兄ちゃん」
はち切れんばかりの笑顔で、ひまわりはオラの方を見た。
それは、ひまわりなりの誤魔化しなのかもしれない。オラが心配しないための。自分の中の悲しみを大きくしないための。
ひまわりにとっての母ちゃんとの思い出は、暖かいものであると同時に、悲しみの対象でもある。味噌汁を作るということは、その両方を思い出させることになるだろう。
……それでも、彼女はオラのために作ってくれた。だからオラは、それに対して何も言うべきではないんだろうな。
「……いただくよ、味噌汁」
「……うん!」
そしてオラとひまわりは朝食を食べた。
味噌汁は、少し塩辛かった。でも、とても心に沁みた。
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